川上忠秋師

 
 

川上 くめども尽きぬ泉のように 

  

イギリスの小説家で劇作家のオスタ―・ワイルトが海外旅行をした時のことである。税関で役人から「何か税金のかかるものは所持していないか」と聞かれて、「私は自分の才能以外は何も持っていない」と答えたと言う。一生に一度でいいから、こういうセリフを吐いてみたいものである。  ところで、人間には約百四十億の脳細胞があるらしい。普通の人はこの脳細胞を25パ−セントしか使っていない。大天才アインシュタインは13パ−セント使ったそうである。頭と言うものは使えば使うほど限りなく発達すると言う特質を持っている。勉強すればするほど伸びる可能性を秘めている。世間の野次馬は、勉強し過ぎてノイロ−ゼになったとか、神経衰弱になったと言うがそれは見当違いも甚だしい。頭でなく、気とか神経を使った結果である。

 

「頭は使うが、気は使うな」と言いたい。 

 また、熱心な祈りのあまり神経が疲れるのは、心ではなく、神経で祈っているからである。心で祈る時は、スカッとさわやかである。心も使えば使うほど素晴らしくなる。与えれば与えるほど、心は豊かになる性質を持っている。  人間の心あるいは愛は、一定の大きさの器に入ったもの様に、その一部をくむと残りが減ると言うものではない。むしろ、泉のように、くめばくむほどコンコンと湧き出てくるような深遠なものである。  幸せを他人に分ける時、それは足し算ではなくて、掛け算となる。55を足すと10になるが、掛けると25になる。そして不幸を他人と分かち合うとき、それは引き算でなくて割り算となる。10から5を引くと5になるが、5で割ると2になる。これはくんでも尽きない愛の心がある。  

 

ハンガリ―の聖女・エリザベットは、ハンガリ−王の娘でドイツのツリンギア侯爵のもとに嫁いだが、キリストに仕え、人々を心から愛した立派な人であった。次の話は伝説であるから、本当のことははっきりしないが、このような話が生まれると言うこと自体、彼女の偉大さを物語っている。  彼女は常に朝早く起きて暖かいパンをかごの入れ、街頭で飢えている子供達に分け与えていた。主人は悪人ではなかったが、それを禁じていた。しかし、エリザベットはキリストと子供達に対する愛にかられて、朝になると、いつもこっそりと出かけてパンを分け与えていた。  ある朝、その場所に突然主人が姿を現わし、「どこへ何を持って行くのか、中を見せなさい」と詰め寄る。エリザベットははじめのうちは恐れのあまりふるえていたが、やがて気を取り直し、ほほ笑みをたたえて、「これは祭壇のためのバラです」と答える。

 

主人が「それは嘘だ。見せなさい」と言って無理やりに中を見ると、驚いたことに彼女の言葉の通り、赤いバラがいっぱいだった。  これは、貧しい子供達にパンを与えることと祭壇に赤いバラを飾ることとは同じキリストに対する奉仕であることを教えている。キリストは祭壇の聖櫃の中にも、貧しい人々の中にも現存しているからである。彼女は子供達にパンを分け与えることによって、天に宝を積んでいたのである。

 

 (浜脇教会・主任司祭)
 
 

川上 胃袋は限りなく…… 

 

布団の中はどこまでも息苦しかった。正月休みが終わると故郷から餅を担いで帰っていた。白い餅は固くなり吸血鬼さえ噛み砕くことは出来ないほどであった。台所に差し出し雑煮にしてもらって皆で食べた。カンコロ餅は23本同じ食卓の仲間と分け合って食べた。残りの23本は寝室のタンスの中に隠しておいた。  消灯のベルが鳴り、暗闇の中で周りの人が寝静まるのを待った。しばらくして布団を抜け出しカンコロ餅を持ち込んだ。布団を被り音を立てないように静かにカンコロ餅にかぶりついた。

 

これを『ヤミ』と呼んでいた。息苦しかったが、噛めば噛むほど味が出た。故郷の母の愛の思い涙した。隣の寝台の中らも「パサッパサッ」と音がした。同病相憐れむのヤミ将軍であった。  苦い思い出がある。試験中は消灯後1時間勉強することが許された。ある時のことである。くすぶり続ける古いスト−ブを囲んで56人の仲間がカンコロ餅を食べていた。ところが、この様子を見つめていたお方がいたのである。誰あろう風呂上がりの浴衣姿の校長代理である。案の定翌日部屋に呼ばれた。説教ならぬ「おせっきょう」をくらった。しかしこのお方は限りなくキリストに近い人であった。チョコレ−トを賜ったのである。ほろ苦い味がした。  

 

11月頃になると伊王島の信者たちから沢山のサツマイモを貰った。その時分はお腹が満たされた。町の人は、やれ胸が焼ける、ガスが出るのと贅沢を言って控え目であった。私なんかほっぺたが落ちるほど頬張った。こんなにおいしいものは世の中にないと思った。  高校2年の時である。先輩と共に風呂大臣に任命された。水曜日と土曜日が入浴日であった。その当時風呂は石炭で沸かしていた。食事を準備してくれていたのは仲知の姉妹会の人であった。伊王島のイモが山と積まれていた。仲知出身の先輩と二人右手で〇を作り「芋をくれ!」と合図を送った。その時分から手話を使っていたのである。石炭の中にくべた。黒い焼き芋が出来上がった。表面は焼けていたが、中はがりがりであった。お歯黒の口を見て笑いあった。石炭焼きの黒いスルメも食べた。ひもじさと共に駆け回っていた。  

 

風呂大臣時代に一番困ったのは試験中であった。皆は勉強しているのに、こちらは風呂沸かしである。石炭くべである勉強どころではなかった。落第せずに済んだのは秀才だったからであろうか? 終い風呂に二人で飛び込んだ。急いで出た。烏の行水より早かった。夕食の時間が刻々と迫っていたからである。うどんが出ると1杯目は当然皆に当たった。しかし、2杯目はタイミングが物を言った。1杯目をすすり終わり立ちあがって仲間の2杯目をついでやっていると自分の分はなくなり「したじ」だけになってしまうのである。遅れていくと2杯目にありつけないので汗だくだくで食堂へと風呂場から突進したのである。何処までも空腹時代であった。   今は飽食時代である。胃袋は満たされるこのような時代であってもハングリ−精神は肝要である。チャレンジ精神である。ぬるま湯にとっぷりとつかることなく気概とバイタリティをもって司祭職に挑戦することである。

 

   神学生に望む夢は次のことである。 ナンバ−ワンではなくオンリ−ワンに  「神は人々を教会の中で次のように任命しました。第1に使徒、第2に預言者、第3に教師、次に奇跡を行う者、人を世話する者、司る者、種々の不思議な言葉を語る者などです。皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。…」(1コリント122831)  @他人と比較しない。 いきいきと生きていくためには『比較の世界』を抜け出して、「自分の花」を咲かせることである。多くの人は『比較の世界』に生きている。

 

他人といつも比較しながら生きているために、絶えず愚痴をこぼしたり、人を羨んだり、ねたんだりして不幸にしている。「不幸は他人と比較するから始まる」と言われる所以である。   「他人と自分を比較して他人が自分より優れていたとしてもそれは恥ではない。しかし、去年の自分より今年の自分、先月の自分より今月の自分、昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分が進歩していないと、それは、立派な恥である。(ジョン・ラボック)  ユダヤの古いことわざ。  「他人に優れようと思うな。他人と違った人になれ。」  他人との比較ではなく、自分との比較である。

 

他人との競争でなく自分との競争である。自分以外の存在とあえて比較し競争したいなら、神と競争して生きることである。  A存在感のある人  オンリ−ワンとナンバ−ワン は違う。「ナンバ―ワン」は他人との競争で決まることであるが、「オンリ−ワン」は自分独自性、能力、才能、特技、持ち味を伸ばし発揮する自己との競争である。オンリ−ワンである時、心にゆとりを持つことになる。相手を受け入れ、認める気持ちが生まれてくる。 自分のユニ−ク性、個性を延ばした人がイコ−ル「オンリ−ワン」なのである。

 

人にはそれぞれ異なった使命と分野がある。音楽でもいい、芸能でもいい、説教でもいい、聖書でもいい、スポーツでもいい、福祉関係の事でもいい、建築家でもいい、自分の好きなもの、得意、長所を掘り出し、十分に伸ばして存在感のある人になってほしいと思う。  Bスペシャリストとゼネラリスト  司祭は万人の為の人である。多様な関心を持たねばならない。多くの分野について知らなければならない。

 

そのために広い関心と豊かな勉強、努力を払うべきである。まず深く掘ることによってスペシャリスト(専門家)となり。広く掘ることによってゼネラリスト(万屋、何でも屋、マルチ人間)を目指すことである。  富士山にはてっぺんがある。麓に下がるにつれて裾野を広げている。  神学校から神学院へと格上げされた。  今や、脱皮の時である。脱皮は変化であり、変化は成長である。脱皮しない蛇は死ぬと言われる。  神学生は発展途上の人である。気概とバイタリティをもって永遠の司祭職目指して邁進してほしいと願う。“意思のあるところに道あり”     

 

(馬込教会主任)

 

川上 生きざまは死にざま

 

その時の天の国は、あかりを手にして花婿を出迎えた10人の乙女のことにたとえられよう。そのうち、5人は愚かで、5人は賢かった。愚かな乙女たちは、あかりは手にしていたが、油は用意していなかった。しかし、賢い乙女たちは、あかりと一緒に、器に入れた油も持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆、眠くなり、そのまま寝込んでしまった。夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と叫ぶ声がした。乙女たちはみな起きて、それぞれのあかりを用意した。その時、愚かな乙女たちは賢い乙女たちに、「油を分けて下さい。あかりが消えますから」と言った。 すると、賢い乙女たちは答えて「油はあなたに分けてあげるほどありません。それよりも、油屋に行って、自分の分を買っておいでなさい」と言った。彼女らが買いに行っている間に、花婿と一緒に婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。その後で、あの他の乙女たちが来て、「主よ、主よ、どうぞ開けてください」と言った。すると、主人は、「あなた方によく言っておく、私はあなた方を知らない」と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたたちはその日、その時を知らないからである。 (マタイ25113

 

1、はじめに   5年前、聖地巡礼に行った折、二度、結婚式のミサに出会った。一度はナザレのお告げの教会でのことだった。白衣を着たこどもたちが先導し、花婿と花嫁が父親に付き添われて教会に入ってきた。私は外人であることの図々しさも手伝って恥ずかしさを忘れ信者達の前に出て花婿と花嫁の写真を撮った。そしてバスに向かっている一行に追いつこうと走り出したところ、うしろから髭ぼうぼうとした男が息せききって追いかけてくるではないか。一瞬たじろいだ。厳粛な場で写真を撮ったのがよほど気に障って文句の一つも言おうと追いかけて来たのかと悔いた。そばに来たその40男は1枚の紙切れを出した。ヘブライ語で住所と氏名が書いてある様であった。「日本に帰ってからここに写真を送ってくれ」と言うことであった。日本に帰ってポケットを調べたところ、その紙切れは影も形もなかった。かわいい子供達は写っているのに、肝心の花嫁、花婿の写真はなかった。急いでいたので、キャップを外していなかったのであろう。

 

2、背景 マタイ25章の113節の物語りの背景となっている結婚式の習わしはこうであった。日暮れになると、花婿が灯を手にした友達と一緒に花嫁を迎えに行き、そして自分の家へ連れて行く。花嫁は婚礼衣裳を身につけて若い娘たちと共に花婿一行が迎えに来るのを待っている。花嫁の付添人のおとめたちは棒のはしに布を巻きつけ、それに油を浸たしてたいまつのようなものを作り、これを明かりとして用いる、彼女たちは明るいうちに集まり、夕方になるとたいまつに火を点ける。花婿一行が来ると歓迎の歌をうたって迎えに出て列をつくり、花婿の家に行き、そこで婚宴が開かれる。

 

  東洋では式次第は定刻通り運ばない。今日の花婿はずいぶん遅くなってしまった。花婿が自分の家で親類や友人と長い時間をぐずぐずしていたためだろうか。あるいは結婚条件としての花嫁の家族への贈り物を決定するのに暇どっていたためだろうか。花嫁の家で待機していたおとめたちは待ちくたびれてとうとうまどろんでしまった。予定通りに運べば何も問題はなかったはずの所を予定が狂ってしまったので、俄かに大問題になった。花嫁の付き人のおとめたちが眠っている間に不意をつこうとして花婿が真夜中に来ることもあった。

 

通例は来るときには、決まりとして先触れの男を送って「さあ、花婿だ、迎えに出よ」と言わせていた。しかし、その時はいつか分からないので、明かりをつけたままだった。油が相当必要だった。5人のおとめたちは、油が不足であることに今気づいた。余分の油を温存している仲間たちから借りようとしたが、しかし断られた。これは利己主義からではない。意地悪をしたとも考えることも出来ない。冷たい人たちであったと言うことも出来ない。その断りはもっともであった。それは無理な頼みであった。予備の油は少量で分けてやりたくても分けてあげるだけの余裕がなかった。5本の灯がずっと灯されているのは10本の明かりが途中で消えてしまうよりもはるかに良いことであった。

 

  花婿の家に着いてからもたいまつ踊りなどのために何回も注ぐ必要があった。途中で消えてしまっては一大事。舞台は婚宴の席、照明は最大限に照らさねばならなかった。  そこで油の不足してきたおとめたちは大急ぎで店へと走った。そんなに遠くに行かないうちに花婿一行が到着した。準備していたおとめたちは花婿の家に行き婚宴の席に連なった。そして戸は閉められた。息せき切って戻ってきたおとめたちは「主よ、主よ、どうぞ開けて下さい」と頼んだ。すると、主人は「私はあなたたちを知らない」と冷たくあしらわれた。    

 

3、特別の婚宴

ところで、この物語では花婿でも花嫁でもなく、花嫁の付き人のおとめたちに主眼を置いている。それがちょうど10人であったことはこの数にとって重要なことではない。5人と5人と分けているのは、救われる人と亡びる人が同数だとここから推論してはならない。わかりやすい数字をもって表現したまでのことである。   準備していたおとめたちは婚宴に参列できたけれども、準備を怠っていたおとめたちは入れて貰えなかったという仕方で話は進められている。

 

  物語をよく考えてみると、首をかしげるところもあるだろう。このような成り行きになるのは世間一般から見るとありそうもないことである。東洋では婚宴の場は閉められることは無く、時には1週間にわたって来客が出入りしていたのである。ところが、今日の物語では戸は固く閉ざされてしまっている。そしてこの物語の終わりは不思議な思いがけない結末になっている。  

 

 主イエズスは明らかに特別の婚宴のことを語ろうとしておられる。はじめは普通一般の婚宴のことを話し、途中でこれを急転換させて、ご自分のねらいと前の方向へと話を持っていかれる。主イエズスはここで神の国の婚宴、永遠の救いのみ国のこと、そしてそれに連なる人たちのことを語りたいのである。   

 

4、教え   

() 他人から借りることのできないものがある   信仰や善業は他人に貸したり他人から借りられるものではない。今生きている間に信仰に生き、愛徳を積み重ねていくべきなのである。勿論、人は他の人のために祈ることは出来るし、その祈りを神は聞き入れてくださるであろう、しかし、何よりもまず自分自身が天に宝を積むように努力すべきである。   ある信心深い人に「私にもあなたの信仰を分けてください」と願ったところ、その人は「私は弱い人間です。罪深い者です。分けてあげるなんて、とんでもございません」と答えた。   大神学校時代、週に一度、ゆるしの秘跡を受ける決まりとなっていた。ある時には罪があまりなくて苦心した、一つ、二つ見つかったがもう少し欲しいなあと思って、心の底をほじくりかえしていると、深刻な表情で廊下に立ちながら準備していた後輩に「罪を少し貸してくれ、後ではらうから」と言ったら、彼はにが笑いをしていた。  

2) 信仰は愛徳で証明されねばならない   信仰イコ−ル行いである。信仰が生活に深く根ざしたものである。  「行いの伴わない信仰は死んだものである」(ヤコブ2−26)   

(3) いつも用意していることである  主イエズスはおおせられている   「人の子は夜の盗人のように思わぬ時に来る」(マタイ244344)  「目を覚ましていなさい、あなたたちはその日その時を知らないからである」(マタイ2513)   盗人のことを「ぬすっと」と言う。「ぬ−」ときて「す−」と帰る人のことであった。

 

   コルベ神父様の列聖式に  

与かる光栄に浴した。列聖式の後教皇聖下は、日本の巡礼団に最初にお会い下さった。教皇聖下のお言葉のあと数人の信者達が贈り物を差し上げていた。その返礼として教皇聖下の手ずからロザリオを受けていた。列聖式のため午前中店が閉まっていたので、買い物が出来ず、贈り物も祝別していただくものは何も持っていなかった。恥ずかしくてためらっていた一人のシスタ−からご絵やロザリオを受け取って教皇聖下に近づこうと列を離れた。

 

ところが、ボディガ−ドから止められた。トルコ人のアリ・アジャから狙撃されて間もなくのことで厳重に警戒していたようである、それでも反対側から強引に近づいて手渡した。それを両手で高く掲げて日本の巡礼団に笑顔でお見せになった。そして私にロザリオを下さった。その時祝別していただいたロザリオやご絵を教皇聖下のおん手からパッと奪い取った。教皇聖下への贈り物ではなく、祝別していただくためのものであったからである。しかも、それらは他人のものであった。教皇聖下はびっくりなさったし、巡礼団もあぜんとしていたそうである。ぬ−と近づいてす−と退いた次第である。

 

5、おわりに   

「人の死にざまは生きざまに同じ」と言われる。生きたように死んでいくのである。人は色々な生き方をするが、その生き方と同じ死に方をする。わがままな人はわがままな死に方をするし、聖なる人は聖なる死を遂げる。「一生の終わりに残ったものは集めたものではなく、与えたものである」とある人は言っている。まさしくその通りである。人はいつも死の時のことを考えて生きることが最も賢明な生き方である。

 

(馬込教会主任司祭)

 

川上 人生の温度を高める

 

主キリストは奉仕と奉献のお方でした。「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マタイ2028)救い主イエズスは、人の心の温度を高め人々に生きる意義と目標をお示しになりました。「愛とはなんですか」と質問を受けた時、「キリストの姿を眺めてごらんなさい。そこに見られるものこそ愛です」と答えたいものです。

 

主イエズスの生涯は、ひたすら愛の道を歩むことでした。ご自分のためには何一つ求めず、すべてを与えるということでした。健康も時間も知恵も力も、その場その場の人々の必要に応じて与えることでした。そしてついには人々のために、人々の救いのために、人々の償いのために、最後の一滴の血まで流し尽くされ、生命をお捧げになりました。イギリスのカトリック作家チェスタートンはただそこにいるだけで、人生の温度を高める人でした。

 

チェスタートンと友人のある日のやりとりです。友人「どうして?」 チェスタートン「電車の席から僕が立ち上がると、3人腰かけられるんだ」 友人「なるほど! なるほど!」 (チェスタートンは、大変太っていたそうです)私は今、聾唖者たちと関わっています。音のない世界にキリストの声を運ぼうとしています。手話を通して心の琴線に触れあうことが出来ます。心から心へこだましている感じを受けています。彼らは純心な心を有し、真剣に生きています。その魂には温かみがあります。 

 

 胃袋の時代から経済成長の時代を経て、今や心の時代を迎えています。奉仕の時です   私達はあまり打算的であってはいけないと思います。もっとゆとりを持って人々のために奉仕が出来る人間、キリストのために愚かになって仕える人間になりたいものです。現代はそういう人間を求めています。 「キリストの愛は愚かさの中にある」と言われます。賢人たちの結論はこうでした。「幸であることの原理は、人のために生き、他人のために尽くすことである」 

 

(馬込教会主任) 


  
   
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