川上 生きざまは死にざま
その時の天の国は、あかりを手にして花婿を出迎えた10人の乙女のことにたとえられよう。そのうち、5人は愚かで、5人は賢かった。愚かな乙女たちは、あかりは手にしていたが、油は用意していなかった。しかし、賢い乙女たちは、あかりと一緒に、器に入れた油も持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆、眠くなり、そのまま寝込んでしまった。夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と叫ぶ声がした。乙女たちはみな起きて、それぞれのあかりを用意した。その時、愚かな乙女たちは賢い乙女たちに、「油を分けて下さい。あかりが消えますから」と言った。 すると、賢い乙女たちは答えて「油はあなたに分けてあげるほどありません。それよりも、油屋に行って、自分の分を買っておいでなさい」と言った。彼女らが買いに行っている間に、花婿と一緒に婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。その後で、あの他の乙女たちが来て、「主よ、主よ、どうぞ開けてください」と言った。すると、主人は、「あなた方によく言っておく、私はあなた方を知らない」と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたたちはその日、その時を知らないからである。 (マタイ25・1〜13)
1、はじめに 5年前、聖地巡礼に行った折、二度、結婚式のミサに出会った。一度はナザレのお告げの教会でのことだった。白衣を着たこどもたちが先導し、花婿と花嫁が父親に付き添われて教会に入ってきた。私は外人であることの図々しさも手伝って恥ずかしさを忘れ信者達の前に出て花婿と花嫁の写真を撮った。そしてバスに向かっている一行に追いつこうと走り出したところ、うしろから髭ぼうぼうとした男が息せききって追いかけてくるではないか。一瞬たじろいだ。厳粛な場で写真を撮ったのがよほど気に障って文句の一つも言おうと追いかけて来たのかと悔いた。そばに来たその40男は1枚の紙切れを出した。ヘブライ語で住所と氏名が書いてある様であった。「日本に帰ってからここに写真を送ってくれ」と言うことであった。日本に帰ってポケットを調べたところ、その紙切れは影も形もなかった。かわいい子供達は写っているのに、肝心の花嫁、花婿の写真はなかった。急いでいたので、キャップを外していなかったのであろう。
2、背景 マタイ25章の1〜13節の物語りの背景となっている結婚式の習わしはこうであった。日暮れになると、花婿が灯を手にした友達と一緒に花嫁を迎えに行き、そして自分の家へ連れて行く。花嫁は婚礼衣裳を身につけて若い娘たちと共に花婿一行が迎えに来るのを待っている。花嫁の付添人のおとめたちは棒のはしに布を巻きつけ、それに油を浸たしてたいまつのようなものを作り、これを明かりとして用いる、彼女たちは明るいうちに集まり、夕方になるとたいまつに火を点ける。花婿一行が来ると歓迎の歌をうたって迎えに出て列をつくり、花婿の家に行き、そこで婚宴が開かれる。
東洋では式次第は定刻通り運ばない。今日の花婿はずいぶん遅くなってしまった。花婿が自分の家で親類や友人と長い時間をぐずぐずしていたためだろうか。あるいは結婚条件としての花嫁の家族への贈り物を決定するのに暇どっていたためだろうか。花嫁の家で待機していたおとめたちは待ちくたびれてとうとうまどろんでしまった。予定通りに運べば何も問題はなかったはずの所を予定が狂ってしまったので、俄かに大問題になった。花嫁の付き人のおとめたちが眠っている間に不意をつこうとして花婿が真夜中に来ることもあった。
通例は来るときには、決まりとして先触れの男を送って「さあ、花婿だ、迎えに出よ」と言わせていた。しかし、その時はいつか分からないので、明かりをつけたままだった。油が相当必要だった。5人のおとめたちは、油が不足であることに今気づいた。余分の油を温存している仲間たちから借りようとしたが、しかし断られた。これは利己主義からではない。意地悪をしたとも考えることも出来ない。冷たい人たちであったと言うことも出来ない。その断りはもっともであった。それは無理な頼みであった。予備の油は少量で分けてやりたくても分けてあげるだけの余裕がなかった。5本の灯がずっと灯されているのは10本の明かりが途中で消えてしまうよりもはるかに良いことであった。
花婿の家に着いてからもたいまつ踊りなどのために何回も注ぐ必要があった。途中で消えてしまっては一大事。舞台は婚宴の席、照明は最大限に照らさねばならなかった。 そこで油の不足してきたおとめたちは大急ぎで店へと走った。そんなに遠くに行かないうちに花婿一行が到着した。準備していたおとめたちは花婿の家に行き婚宴の席に連なった。そして戸は閉められた。息せき切って戻ってきたおとめたちは「主よ、主よ、どうぞ開けて下さい」と頼んだ。すると、主人は「私はあなたたちを知らない」と冷たくあしらわれた。
3、特別の婚宴
ところで、この物語では花婿でも花嫁でもなく、花嫁の付き人のおとめたちに主眼を置いている。それがちょうど10人であったことはこの数にとって重要なことではない。5人と5人と分けているのは、救われる人と亡びる人が同数だとここから推論してはならない。わかりやすい数字をもって表現したまでのことである。 準備していたおとめたちは婚宴に参列できたけれども、準備を怠っていたおとめたちは入れて貰えなかったという仕方で話は進められている。
物語をよく考えてみると、首をかしげるところもあるだろう。このような成り行きになるのは世間一般から見るとありそうもないことである。東洋では婚宴の場は閉められることは無く、時には1週間にわたって来客が出入りしていたのである。ところが、今日の物語では戸は固く閉ざされてしまっている。そしてこの物語の終わりは不思議な思いがけない結末になっている。
主イエズスは明らかに特別の婚宴のことを語ろうとしておられる。はじめは普通一般の婚宴のことを話し、途中でこれを急転換させて、ご自分のねらいと前の方向へと話を持っていかれる。主イエズスはここで神の国の婚宴、永遠の救いのみ国のこと、そしてそれに連なる人たちのことを語りたいのである。
4、教え
(1) 他人から借りることのできないものがある 信仰や善業は他人に貸したり他人から借りられるものではない。今生きている間に信仰に生き、愛徳を積み重ねていくべきなのである。勿論、人は他の人のために祈ることは出来るし、その祈りを神は聞き入れてくださるであろう、しかし、何よりもまず自分自身が天に宝を積むように努力すべきである。 ある信心深い人に「私にもあなたの信仰を分けてください」と願ったところ、その人は「私は弱い人間です。罪深い者です。分けてあげるなんて、とんでもございません」と答えた。 大神学校時代、週に一度、ゆるしの秘跡を受ける決まりとなっていた。ある時には罪があまりなくて苦心した、一つ、二つ見つかったがもう少し欲しいなあと思って、心の底をほじくりかえしていると、深刻な表情で廊下に立ちながら準備していた後輩に「罪を少し貸してくれ、後ではらうから」と言ったら、彼はにが笑いをしていた。
(2) 信仰は愛徳で証明されねばならない 信仰イコ−ル行いである。信仰が生活に深く根ざしたものである。 「行いの伴わない信仰は死んだものである」(ヤコブ2−26)
(3) いつも用意していることである 主イエズスはおおせられている 「人の子は夜の盗人のように思わぬ時に来る」(マタイ24−43〜44) 「目を覚ましていなさい、あなたたちはその日その時を知らないからである」(マタイ25−13) 盗人のことを「ぬすっと」と言う。「ぬ−」ときて「す−」と帰る人のことであった。
コルベ神父様の列聖式に
与かる光栄に浴した。列聖式の後教皇聖下は、日本の巡礼団に最初にお会い下さった。教皇聖下のお言葉のあと数人の信者達が贈り物を差し上げていた。その返礼として教皇聖下の手ずからロザリオを受けていた。列聖式のため午前中店が閉まっていたので、買い物が出来ず、贈り物も祝別していただくものは何も持っていなかった。恥ずかしくてためらっていた一人のシスタ−からご絵やロザリオを受け取って教皇聖下に近づこうと列を離れた。
ところが、ボディガ−ドから止められた。トルコ人のアリ・アジャから狙撃されて間もなくのことで厳重に警戒していたようである、それでも反対側から強引に近づいて手渡した。それを両手で高く掲げて日本の巡礼団に笑顔でお見せになった。そして私にロザリオを下さった。その時祝別していただいたロザリオやご絵を教皇聖下のおん手からパッと奪い取った。教皇聖下への贈り物ではなく、祝別していただくためのものであったからである。しかも、それらは他人のものであった。教皇聖下はびっくりなさったし、巡礼団もあぜんとしていたそうである。ぬ−と近づいてす−と退いた次第である。
5、おわりに
「人の死にざまは生きざまに同じ」と言われる。生きたように死んでいくのである。人は色々な生き方をするが、その生き方と同じ死に方をする。わがままな人はわがままな死に方をするし、聖なる人は聖なる死を遂げる。「一生の終わりに残ったものは集めたものではなく、与えたものである」とある人は言っている。まさしくその通りである。人はいつも死の時のことを考えて生きることが最も賢明な生き方である。
(馬込教会主任司祭)
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